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安曇野と信州の四季の自然の素晴らしさや、人気のお店を紹介しています♪ 最近はほとんど『野鳥 大好き!』ですが^^;

安曇野の念仏道場/豊科の法蔵寺



日課となっている、豊科日赤に入院中の父に面会した後に、豊科の街なか散策をしていたある日、市役所と反対側にある法蔵寺の入り口に気づきました。病院の窓から外の景色を眺めていた時や、銀行に出向いた際に、その場所に法蔵寺があることは知っていましたので、いい機会だと思って見学させていただくことにしました。

もともと神社仏閣にそれほど興味があるわけではなく、苦しいときだけお願いごとをするお調子者ですが、路地を散策中に目に入った山門やその向こうに見えた参道の様子がとても魅力的だったのです。


▼法蔵寺のこの山門は、寛政元年(1789)に大工棟梁伊藤(柴宮)長左衛門らにより建てられたことが棟札(むなふだ)によって判明しています。一般的な薬医門(やくいもん)とは異なり、正面側に軒唐破風(からはふ)が付き、妻梁(つまばり)の上に出組の組物を置いて軒を大きく持ち出しています。屋根は、当初はこけら葺(ぶき)だったと推定されています。

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この門の最大の特色は、各所に多数のケヤキの白木の彫刻がついていることで、屋根が大きい特異な形式もそのための工夫と理解できます。彫刻の主題には唐獅子(からじし)・竜・麒麟(きりん)・獏(ばく)・鳳凰(ほうおう)・鷹(たか)・鶴(つる)・鵯(ひよどり)・鯉(こい)・松・牡丹(ぼたん)・菊・梅・雲などがあり、それぞれ躍動するとともにみごとに調和しています。

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諏訪郡上桑村の普門寺部落に生まれ、大隅流宮大工の伊藤(柴宮)長左衛門(1747~1800年、延享4年~寛政12年)は、この時代の傑出した工匠(こうしょう)で、諏訪大社下社春宮幣拝殿(へいはいでん、下諏訪町 重文)、水上布奈山(みずかみふなやま)神社本殿(戸倉町 重文)などの作品があります。この法蔵寺山門も彫刻の密度と出来栄えから、彼の代表作の一つとして評価されています。

平成7年2月には、長野県教育委員会から長野県宝に指定されました。

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長野県宝
 法蔵寺山門

  一間薬医門 切妻造 銅板葺
  正面軒唐破風付 左右一間袖塀付

 法蔵寺(ほうぞうじ)は浄土宗寺院(知恩院末)で、永正3年(4506)に吉野梶海渡(かじかいと)に創建され、成相新田宿の建設に伴い、慶長16年(1611)に現在地に移転した。山門が境内入り口に西面して建ち、後方に鐘楼門(しょうろうもん)・本堂・観音堂・庫裡(くり)・奥書院・土蔵がある。

 山門は寛政元年(1789)、大工棟梁伊藤(柴宮)長左衛門らにより建てられたことが棟札(むなふだ)より判明している。一般的な薬医門(やくいもん)と異なり、正面側に軒唐破風(からはふ)が付き、妻梁(つまばり)の上に出組の組物を置いて軒を大きく持ち出している。屋根は、当初はこけら葺(ぶき)であったと推定されている。

 この門の最大の特色は、各所に多数のケヤキの白木のの彫刻がついていることで、屋根が大きい特異な形式もそのための工夫と理解できる。彫刻の主題には唐獅子(からじし)・竜・麒麟(きりん)・獏(ばく)・鳳凰(ほうおう)・鷹(たか)・鶴(つる)・鵯(ひよどり)・鯉(こい)・松・牡丹(ぼたん)・菊・梅・雲などがあり、それぞれ躍動するとともにみごとに調和している。

 伊藤(柴宮)長左衛門はこの時代の傑出した工匠(こうしょう)で、諏訪大社下社春宮幣拝殿(へいはいでん、下諏訪町 重文)、水上布奈山(みずかみふなやま)神社本殿(戸倉町 重文)などの作品がある。この法蔵寺山門も彫刻の密度とできばえから、彼の代表作の一つとして評価できる。

 平成7年2月 指定
     長野県教育委員会
     安曇野市教育委員会




▼山門の傍らには、二十三夜塔や念仏供養塔、庚申塔が佇んでいました。

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▼庚申塔のお隣には、「安曇野市史跡 法蔵寺館跡」と記された標柱が建っています。

それによると『戦国時代に武田氏が造成した棒道沿いにあり、軍略上、交通上の要所として真々部に続いて館を築造したと考えられる。武田氏はここを構築するために「もやい堰を棒道沿いに最短距離をとって開削し、当館および構えの墓屋敷へ導水した。館の規模は1町(109m)四方で堀がめぐらされていた。また、寺の書上帳によると、東西3町、南北1町半が城郭であったといわれている。館主は成相氏と想定されるが、慶長16年(1611)その跡地に吉野地籍から法蔵寺が移転した。』とあります。

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▼一礼して山門をくぐると、緑が綺麗な参道がずいぶんと先の方まで伸びています。秋になれば、紅葉の赤で随分と鮮やかに染まることでしょう。山門を振り返ると右側には、『山門屋根 破風飾り 南 懸魚』と説明のある破風飾りが展示されていました。

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▼参道の途中にはミニジオトープのような池に橋が架かっています。

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▼参道脇には句碑も建っていました。

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浄土宗の宗祖法然上人800年大遠忌と法蔵寺創建500年記念祝賀の年は、豊科きさらぎ俳句会の生誕60年の節目でもあったので、会の生みの親の一人である俳人笠原蜻蛉子(貞行)が檀徒総代を勤める者という所以もあって、平成24年4月に句碑が建立されたということです。


▼左右の樹々が途切れるあたりまで参道を進むと、正面に二重層の鐘楼門が目に入ってきました。「周岳山」の山号額が掲げられています。鐘樓門は、山門と同じく寛政元年(1789年)の建築で、第21世性達大和尚の在世中に、上諏訪の棟梁伊藤長佐衛門矩重の作で、市内一の優雅な建造物といわれています。

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仁王像錫杖(しゃくじょう)。右が怒りの表情を顕わにした開口の阿形(あぎょう)像、左が怒りを内に秘めた表情で口を結んだ吽形(うんぎょう)像です。仁王像は、寺院内に仏敵が入り込むことを防ぐ守護神としての役割をされており、安置される場所柄、風雨に晒されて傷みやすいのですが、こちらの仁王様の状態は良いようです。

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阿吽のは口を開くとき最初に出てくる音で始まりを表わし、は口を閉じた最後の音で終わりを表わします。この二字ですべての事柄の成り立ちを集約する考え方だそうです。また、二人以上で一緒に物事を行うときの、互いの微妙な気持ちや調子を「阿吽の呼吸」と表現することはよくご存知のことでしょう。


▼仁王様の後ろには、牛の彫物がありました。傍らには、法蔵寺の案内とともに、高村光太郎の「牛」という詩のコピーが置かれていました。この詩はとても長いので、引用は諦めました。こちらのサイトでご覧ください。

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▼本堂に向けて鐘楼門をくぐってから振り返ると、橦木(しゅもく)と呼ばれる、鐘をつく棒が見えます。少しだけ下部が見える梵鐘は再鋳造されたもので、毎日昼と夕方の2回、安曇野に時を告げる鐘音が響き渡るといいます。

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▼本堂はすぐ目の前ですが、手水舎(=手水場、水汲堂)が横に見えましたので、手と口を清めます。

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▼改めて、本堂に向かいます。足元のこれが何なのか分かりませんでした。実は翌日、改めて確認したいことがあって、こちらに再度訪れた際に、境内のお掃除をされていたこちらの若い女性の方に教えていただきました。

本堂の左手に立つ大きな卒塔婆(そとば)が、もともとこちらに建っていた位置を表しているのだそうです。善光寺の回向柱(えこうばしら)のように、特別な場合に使われるのでしょうか。

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こんな写真が見つかりましたので、お借りして掲載しました。

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Panoramio/Google マップ、http://www.panoramio.com/photo/16677720より借用



▼「法蔵寺」の寺号額が掲げられた本堂。旧本堂は明治4年松本藩の廃佛毀釈(きしゃく)により破壊されてしまうという憂き目に遭いました。その後、再三復興を計画しますが実現せず、昭和25年から9ヶ年の歳月を経てようやく再建されました。

総坪数は160坪で、間口は8間、奥行10間の本堂内部の中央内陣に御本尊阿弥陀如来(三尊来迎仏)が安置されています。

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▼本堂の右手には、僧侶の居住場所を指す庫裏(くり、庫裡)と呼ばれる建物があります。間口9間、奥行11間、信州特有の本棟造り(ほんむねづくり)で、正面は漆喰の白壁蔵造りの重厚な木造建築です。

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もとは安曇野市堀金烏川岩原の安楽寺の庫裏として江戸中期に建てられましたが、明治になって松本藩の廃仏毀釈(きしゃく)により藩内のほぼすべての寺が破壊されたものの、この庫裏だけは穂高の豪商小川家(屋号・大和屋)によって郵便取扱所と中牛馬分会社の開設のため移築され、難を逃れることができたのです。

その後、明治38年(1906)に、仮の本堂と庫裏で再興した法蔵寺の当時の和田良順住職により、安楽寺とは宗派も違うため特別な関係はなかったものの、縁あって再度移築され、明治45年(1912)に整備完了、現在に至っています。

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▼大きな玄関を入ると、外からは見えませんが、右側上部に古い駕篭(かご)が吊るされているそうで、柱や梁などに欅、松などの巨木が使われており歴史の重みが感じられるといいます。

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▼庫裏の周りの睡蓮鉢などの風情には、心が癒やされます。

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▼可愛らしい「めぐみ観音」も心癒されるお姿です。

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めぐみ観音 ~別称・稚児(ちご)観音~

 観音さまは千相千体(せんそうせんたい)に変化し、常に私たちに寄りそい、お守りくださると言う。
 気づかぬままに、いつでもどこでも天地、自然、万物をつうじて仏さまの慈悲の力(めぐみ)につつまれて、いかされている私たち。
 あどけない稚児二人の姿に、永遠に変わらぬ私たちの感謝と願いの心を形にして、ここに めぐみ観音 が建立された。
 感謝の心、願う心は祈りにつながる。

 お賽銭をお入れ下さい。
 かわいらしいメッセージが聞こえてきます。

平成7年5月吉日
 浄土宗 法蔵寺 山主




▼鐘楼門の横を通り、庭園を拝見しようと歩を進めますと、鐘楼門の横に「成新学校跡」と彫られた石柱が建っておりました。過日の「豊科近代美術館周辺をモヤさま風散歩♪」で紹介した、「豊科」の名付け親でもある藤森桂谷(ふじもりけいこく)、本名寿平(じゅへい)が1873年に法蔵寺に開設して自らも教壇に立ったのが「成新学校」です。この学校は1876年3月当時、安曇文化の象徴とも言われた洋式の建物「豊科学校」になり、彼は校長として1880年まで在職しておりました。
なお、成新学校でともに教鞭をとった姥貝兜一郎の勤労を称える碑が山門前に建っておりますが、撰文は藤森桂谷によるものです。

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▼境内にはこんな歌碑もありました。

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川西三十四番札所
聖観世音菩薩
第十一番
          浄土宗 
          周岳山  法蔵寺

かねのねの たへぬ みのりの 寺なれば
つみも消えゆく み多の名号




▼参道の樹木の美しさもさることながら、こちらの庭園のサルスベリも見事にピンクの花を咲かせています。サルスベリは、夏の盛りに百日近く咲き続けることから、百日紅(ヒャクジツコウ)とも呼ばれます。その華やかな咲きっぷりに由来して「雄弁」や、「愛嬌」・「不用意」という花詞(はなことば)を持っています。

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▼サルスベリの樹下には梵鐘が置かれています。戦時の金属供出で梵鐘を失ったため、昭和24年に檀信徒の方々の熱意により鋳造されたものです。第二次世界大戦の直後であり、物資不足の中での鋳造のためかひび割れが生じてしまい、40年後の平成元年に新たに梵鐘が鋳造された後も、「平和の鐘」としてここに安置されているのです。

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▼庭園のこんなオブジェを眺めながら市役所前の通りの方へ歩いて行くと、井戸らしきものがありました。近づいて覗き込んでみると、やはりそうです。史跡文化財に指定されている古・大井戸ではないかと思われます。

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▼市役所前の綺麗に整備された通りから、法蔵寺に入るのにはこちらが便利なようです。

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▼法蔵寺の指定文化財をまとめてみました。(安曇野市資料による)
・山門:県宝
・鐘楼門、庫裏、土蔵、裏門、書院:国登録有形文化財
・法蔵寺館跡:市史跡
裏門」が分からなかったので、先ほどの女性に尋ねてみましたところ、おそらくこれだろうということでした。駅前通りの八十ニ銀行駐車場から見える、庫裏の門です。文化庁登録文化財指定の「南門」のことと思われます。

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▼最後になりましたが、法蔵寺の沿革です。

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法蔵寺縁起

寺名、周岳山 信楽院(しんぎょういん) 法蔵寺
本尊、阿弥陀如来(三尊来迎佛)
宗名、浄土宗(總本山知恩院末寺)
宗祖、和順大師法然上人
開山、第一世承蓮社傳誉上人(現在第31世音誉法我住職)
創建、永世3年(1506年)
移築、慶長16年(1611年)

由緒及び現況

当寺は室町時代、永正3年吉野区梶海渡(かじかいと、豊科町内※現安曇野市豊科)に創建された。開山は承蓮社傳誉上人で京都の人と云う。次いで慶長13年(1608年)松本城主石川光長が新田成相の宿場建設に際し郡奉行青山出羽、吉野村の地侍、丸山丹後守、岡村小兵衛に命じて吉野区梶海渡(かじかいと)にありし法蔵寺を現在地に移転した。此の時、慶長16年第5代常蓮社然誉上人で中興開山となっている。

境内。敷地總坪数、6200坪(※6300坪)
本堂。總坪数、160坪(※200坪)

明治4年松本藩の廃佛毀釈の為、本堂、庫裏破壊。其の後再三復興を計画しつつも時機至らず現在の本堂は昭和25年より9ヶ年を経て再建落慶を見るに至る。

庫裏。間口9間、奥行12間、200坪。

本棟造り正面は、白壁土蔵造り、欅、松材の巨木が使用されておる。此の庫裏は徳川時代堀金村岩原の安楽寺の建物で明治4年廃寺後、穂高町の民家となっていたが、其の後、明治45年当山で購入、移築したものである。

山門、鐘樓門。寛政元年(1789年)の建築で、当山第21世性達大和尚の在世中、上諏訪の棟梁伊藤長佐衛門矩重の作。

土蔵。安政元年(1854年)の建築

   昭和57年3月7日



()内※の数字は、法蔵寺パンフレット内に記載の坪数より引用しました。また、横書きで読みやすいように、漢数字を算用数字に改めてあります(他事項の表記も同様です)。





浄土宗 周岳山 法蔵寺

住所:〒399-8205 長野県安曇野市豊科新田5716
TEL:0263-72-2273(代)
FAX:0263-72-6160
受付時間:8:00~21:00(年中無休)
アクセス:安曇野インターより車でやく10分、JR大糸線豊科駅より徒歩約8分
駐車場:第1~第3、約200台
E-mail:houzouji@azm.janis.or.jp


草創 800年 松本市平瀬養老坂に天台宗法住寺として草創
創建 500年 安曇野市豊科吉野に創建
遺跡文化財 境内全域 戦国時代、一町四方、二重遺構有り
史跡文化財 境内全域 古・大井戸一間真角、深さ十三メートル
長野県県宝 山門
長野県保存建築物 本堂・庫裏・書院
文化庁登録文化財 庫裏・書院・鐘楼門・土蔵・南門

稲荷大明神祠 安曇野の民話・法蔵寺の狐
明治維新廃仏の動乱 ・藤森寿平実践社・塾を開設
          ・自由民権運動発祥の地
          ・国会開設嘆願書発信の地



・各種祈願
・永代供養、合祀納骨
・ペット供養

以下は、事前に予約が必要です。
・内庭、堂内、庫裏の拝観
・仁王様の股くぐり
・お戒壇めぐり
・百萬辺大王数珠くり



<定例・年中行事>
・年始拝賀                       正月3ヶ日
・御忌会、宗祖御命日                  1月25日
・春季彼岸法要                     3月春分の日
・厄除観音、大般若転読、釈迦御降誕、お花祭り、法要   4月29日
・総本山知恩院参拝おてつぎ団参             6月第1週・2泊3日
・護持会、年度お世話人総会               7月第2週
・お盆、お施餓鬼法要                  8月6日
・秋季彼岸法要                     9月秋分の日
・仏名会、修養会                    12月8日
・除夜の鐘つき浄焚会                  12月大晦日
※お念仏と詠唱の集い                  毎月10日・25日
※寺報「開法蔵」の発行                 毎年
※研修会、修養会、講演会                随時
※伝法、五重相伝、授戒会                5年毎








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