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安曇野と信州の四季の自然の素晴らしさや、人気のお店を紹介しています♪ 最近はほとんど『野鳥 大好き!』ですが^^;

豊科で出会った道祖神♪



豊科南小学校近くの百石堰から、線路の向こう側を目指して移動中に、いろいろな道祖神にめぐり会いました。実は吉野桜散歩道からまっすぐに南小学校に行ったわけではなく、途中で吉野町集会所に立ち寄ったのです。

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安曇野は道祖神の宝庫といわれます。「塞(さえ)の神」ともいわれ、塞(さえ)は「さえぎる」という意で、悪霊や疫病など邪悪なものが入り込まないように、集落の中心や道の辻などに祀られてきました。

集会所の前に佇んでいた道祖神や石仏です。右側の一番大きな道祖神は、文字が刻まれただけの「文字碑道祖神」です。
安曇野市のリストでは「形態:文字碑、年代:天保7(1836)年、大きさ:93-100-50、銘:天保七丙申年二月吉日 吉野町中」とあります。

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集会所の建物の横には、石仏がこんなにたくさん。

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石で造られた祠のようなものもありました。

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吉野町集会所の前の道を真っ直ぐ行き、十字路を左に曲がった所、アパートと民家の間に空き地の小さな広場があって、ブランコが据えられています。その横に、ぽつんと、小さな道祖神がありました。こちらも「文字碑道祖神」です。
同上のリストにある「形態:文字碑、年代:安政7(1860)年、大きさ:55-40-16、銘:文政七甲申天正月吉祥日」とはちょっと違うかな?でも、リストにリンクしている地図の場所とは一致するのです。

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線路の向こう側に移動するには、やはり南豊科駅のすぐ脇の道がいいのだろうかと、線路の近くで見回してみました。後から気がついたのですが、このあたりから南に踏切があったのですが、その時は駅のすぐ側の踏切しか分かりませんでした。

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車で何度も通ったことのある道ですが、踏切からすぐの所にこんな野菜の無人販売には気が付きませんでした。やはり、徒歩で散歩したり、自転車だと、いろいろな発見があって楽しいですね。ピーマン、なす、ミニトマト、きゅうり、そしてガーベラという「品揃え」で、どれも、ひとつ100円です。

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そしてそのすぐ先の左側に、また道祖神がありました。これは大きな「文字碑道祖神」です。実はこの道祖神は、日本で一番大きい「文字碑道祖神」なのだそうです。
リストには「形態:文字碑、年代:弘化4(1847)年、大きさ:205-180-63、銘:弘化丁未秋改建成相本村 極盤書」とあります。

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そのお隣が「双体道祖神」です。「酒器(祝言)像」ですね。
「形態:祝言・酒器、弘化3(1846)年、大きさ:117-130-39、銘:弘化三午正月吉日 本村 帯代十五両集会所」

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この2つの道祖神を後ろから撮ってみました。私には、リストの文字と照らし合わせないと読めません。

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そして更に隣が、「神代文字碑」です。ガイドブックや観光案内などで見たことがあります。この道祖神だけは屋根が付き、更に横はガラスで保護されていて、とても大切な扱いをされています。なんだ、こんな所にあったのか、車でその道を何度も通っていたのに~、などと呟きながら、説明書きに目を通しました。

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安曇野市有形文化財
本村の神代文字碑

 神代(じんだい)文字の一つ「阿比留文字」で

ヤチマタヒコノカミ
ヤチマタヒメノカミ
クナトノカミ

と、三柱の神を刻んだ碑である。

 もともと屋敷神としてあったもので、平田国学(ひらたこくがく)の影響下、江戸時代末に造立されたものと考えられる。その後、現在地に移転してから、「本村中」の文字が加えられ、道祖神として祀られている。

 俗間の目に触れぬ文字が刻まれ、しかも信仰されているという貴重な民族資料である。

 平成20年10月29日
   安曇野市教育委員会




江戸時代末期の造立で、神代文字のひとつ阿比留(あひる)文字で、「ヤチマタヒコノカミ」(八衢比古神)、「ヤチマタヒメノカミ」(八衢比売神)、「クナトノカミ」、(岐神)と記され、辻にあって災難を防ぐ塞神(さえのかみ)を意味しているのだそうです。
ちなみに、リストのデータは「形態:文字碑、年代不詳、大きさ:50-50-23、銘:本村中、備考:神代(阿比留)文字」となっています。

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お隣には石仏も。有名な道祖神の影で、何だか小さく、ひっそりと建っているように感じるのは気のせいでしょうか。

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これらの道祖神は、本村地区公民館の隣り、大日如来堂の傍らにありますが、前が駐車場になっているので道祖神の見学者には少々不都合かなという感じです。というのは、この日の見学者は私ひとりですが、自転車で来ました。でも駐車場には公民館を利用の方が、道祖神の所までいっぱいに車を停めています。もう少し、道祖神から離して停めてくれればいいんだけどなぁ~なんて思いました。写真がうまく撮れていないのはそのためです(笑)。

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公民館の敷地の端には、こんな標柱が建てられていました。法蔵寺の記事で触れましたが、藤森桂谷(寿平)が開設した「成新学校」の支校が、明治6年から9年までこの地にあったようです。

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さて、のんびりサイクリングとはいえ、少し疲れてきましたから、じてんしゃ広場にでも行って、一休みすることにしましょう。

記事中の道祖神のリストや観光マップより詳細な地図は、安曇野市の公式サイトからPDFファイルをダウンロードできます。以下に、そのリンクを貼っておきますので、興味がおありの方はどうぞ。

道祖神マップ:市内全図(PDF:2,062KB)

道祖神 所在地・碑文等一覧(PDF:930KB)

※市内を4つに分けた地図もあります。
 (1) 市北西部(PDF/2MB)
 (2) 市北東部(PDF/1.98MB)
 (3) 市南西部(PDF/2MB)
 (4) 市南東部(PDF/1.99MB)


吉野町集会所の位置はこちら




小さな道祖神がある小さな広場はこちら(およその位置です)




神代文字碑道祖神のある本村公民館はこちら







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