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安曇野と信州の四季の自然の素晴らしさや、人気のお店を紹介しています♪ 最近はほとんど『野鳥 大好き!』ですが^^;

穂高の碌山美術館で芸術の秋してきました♫



碌山美術館を訪れた時の続きです。

碌山館の外に詩碑が建っています。木洩れ陽のこの写り具合では、読めませんね(笑)。高村光太郎が碌山について書いた詩です。これは、館内の展示パネルでも読むことができます。

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荻原守衛

単純な荻原守衛の世界観がそこにあつた、
坑夫、文覚、トルソ、胸像。
人なつこい子供荻原守衛の「かあさん」がそこに居た、
新宿中村屋の店の奥に。

巌本善治の鞭と五一会の飴とロダンの息吹とで荻原守衛は出来た。
彫刻家はかなしく日本で不用とされた。
荻原守衛はにこにこしながら卑俗を無視した。
単純な彼の彫刻が日本の底でひとり逞しく生きてゐた。

――原始、
――還元、
――岩石への郷愁、
――燃える火の素朴性、

角筈の原つぱのまんなかの寒いバラック。
ひとりぽつちの彫刻家は或る三月の夜明に見た、
六人の侏儒が枕もとに輪をかいて踊つてゐるのを。
荻原守衛はうとうとしながら汗をかいた。

粘土の「絶望」はいつまでも出来ない。
「頭がわるいので碌なものは出来んよ。」
荻原守衛はもう一度いふ、
「寸分も身動きが出来んよ、追ひつめられたよ。」

四月の夜ふけに肺がやぶけた。
新宿中村屋の奥の壁をまつ赤にして
荻原守衛は血の塊を一升はいた。
彫刻家はさうして死んだ――日本の底で。

昭和十一年 高村光太郎 作



これは高村光太郎が昭和11年の『詩洋』に寄稿した詩です。館内に原稿が展示されていましたが、これをレリーフしたものです。



碌山の絵が展示されている杜江館1階の「碌山絵画室」に記された碌山の言葉。


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Gittoは埃及(エジプト)の如く
 Angelicoは グリーキの如し

明治四十年 クリスマス 於フロレンス求之
                            碌山
(蔵書 FLORENCEへの書込み)




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蕾にして凋落せんも
亦面白し
天の命なれば
之又せん術なし
唯人事の限りを尽くして
待たんのみ
事業の如何にあらず
心事の高潔なり
涙の多量なり
以て満足す可きなり

碌山




最後に、昨日作品だけ紹介した、「碌山 恋の三部作」について。

碌山の絶作「女」と「デスペア」は女性の像ですが、なぜ「文覚」がそれに入るのかと訝しがる方もおられるでしょう。

「文覚」は、鎌倉時代の実在の人物、文覚上人をモチーフとしています。文覚上人がまだ武士だった頃に、従兄弟で同僚の渡辺渡(わたなべわたる)の妻、袈裟御前に横恋慕し、誤って殺してしまったため出家しました。

同様に人妻黒光に恋心をいだいていた碌山は、その想いを叩きつけるかのようにこの「文覚」を作り上げました。大きく目を見開き、空虚を見ら見つける文覚。力強くガッシリとした太い腕。悶え苦しむ文覚の姿に、抑えがたい自分の激情とそれを戒める激しい葛藤を重ねあわせた作品となります。

帰国後の1908年に作られた第一作の作品ですが、それまで外形的な力強さに比べて内的な力の不足を感じていた碌山は、第二回文展に「女の胴」、「坑夫」、「文覚」の3作品を出品し、「文覚」のみが入選しました。

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荻原守衛 「文覚」 1908年


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「伝文覚上人荒行像」鎌倉成就院所蔵



また、相馬黒光は碌山の気持ちを知りながらも、浮気を続ける夫の愛蔵への憎しみにもがき苦しんでいました。碌山は黒光になぜ別れないのかと尋ねますが、その時黒光はお腹に子を宿しており、母として妻として守るべきものがあったのです。出口のない葛藤のなかで碌山は、体を地面に伏せ、顔をうずめた女性「デスペア」を生み出します。そこには、苦しみながらも現実を生きていかなければならないという、黒光の逃れられない絶望感が込められています。

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荻原守衛 「デスペア」 1909年



さらに、黒光の次男がこの世を去るという不幸が彼女を襲います。悲しみのなか、気丈に振舞う黒光に碌山は運命に抗う人間の強さを見出し、思いのたけをぶつけるように、同年「女」を制作するのです。

今開催されている企画展では、この作品のモデルを務めた岡田みどりという女性の写真や後日談などが展示されていますが、明らかに黒光を精神的なモデルにした作品といわれています。黒光自身は、碌山の自らの命と引き換えに制作された絶作「女」を見て、「胸はしめつけられて呼吸は止まり・・・自分を支えて立っていることが出来ませんでした」と語っています。

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荻原守衛 「女」 1910年



11月8日までの間、この三部作を取り上げた企画展「制作の背景 -文覚・デスペア・女-展」が開催されています。作品制作の背景を知る絶好の機会ですので、さっそく来週の連休を利用して多くの方に足を運んでいただければと思います。




碌山美術館

住所:長野県安曇野市穂高5095-1
TEL:0263-82-2094
開館日:5月~10月  無休
休館日:11月~4月、月曜日と祝祭日の翌日。12月21日~12月31日。
開館時間:3月~10月→AM9:00~PM5:10
     11月~2月→AM9:00~PM4:10 (入館は30分前まで)
入館料:大人=700円、高校生=300円、小・中学生=150円、団体料金あり
アクセス:電車利用=JR大糸線穂高駅下車徒歩約7分、車利用=安曇野ICから約15分
駐車場:大型バス3台、自家用車110台、無料
公式サイト:http://www.rokuzan.jp/


■現在開催中の企画展
 制作の背景 -文覚・デスペア・女-展 
 会期:8月1日(土)~11月8日(日) 会期中無休
 会場:第二展示棟
荻原守衛(号:碌山 1879-1910年)の残した傑作《女》(1910年)は、相馬黒光への思いが 制作の動機となっています。この作品をより深く理解する上で不可欠なのが《文覚》(1908年) 《デスペア》(1909年)の二つの作品です。鎌倉の成就院に自刻像として伝わる木像に、文覚 上人の苦悩を見て取り制作した《文覚》、女性の悲しみに打ちひしがれる姿に文字通り絶望 (despair)を表わした《デスペア》には、当時の荻原の胸中が重ねられています。最後の作品 《女》には、それらを昇華した高い精神性が感じられます。それはまた人間の尊厳の表象にもつながります。
個人的な思いを元にして作られた作品が普遍的な価値あるものとなっていることは、百年前 の作品が現代の我々の心に響いていることからも容易にうなずくことができます。作品に普 遍的価値をもたらした荻原の精神的な深さと芸術の高さ、またそれらの当時における新しさ とを、多くの方々に感じ取っていただこうと本企画展を開催いたします。
(碌山館公式サイトより)


新宿中村屋公式サイト

創業者ゆかりの人々
https://www.nakamuraya.co.jp/pavilion/founder/
荻原守衛(碌山)
https://www.nakamuraya.co.jp/pavilion/founder/people/p_001.html









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