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安曇野と信州の四季の自然の素晴らしさや、人気のお店を紹介しています♪ 最近はほとんど『野鳥 大好き!』ですが^^;

穂高の乳房橋から見る有明山



お気に入りの山麓線と国道147号線を結ぶ県道25号線には乳房橋という橋があり、そこを通過するたびに胸を締め付けられる思いをするのは私だけではないと思います。

平和のシンボルとも呼ばれるこの乳房橋の下を流れる乳房川は、乳川と中房川が合流したためにそのように呼ばれるのだそうです。明治時代には木橋だった乳房橋が鉄筋コンクリートの橋になったのは昭和9(1934)年で、長さは56メートル、幅5.5メートルと、今では少々狭く感じる橋です。

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以前から目ぼしをつけていた堤防沿いの道に車を停めて、雲が絡んだような表情の有明山を撮ってみました。

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もう少し北側に移動して。

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どうにも思うような絵になりません。本当は手前に乳房橋を入れて有明山を撮りたかったのですが、何本もの電線が邪魔になってしまうので諦めました。

乳房橋から北西に移動して撮ったのがこれですが、やはり納得がいきません。

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さらに西へ移動して諏訪神社の近くのブルーベリー畑を近景に入れてみても、…。

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今度はブルーベリー畑西隣のあぜ道から。

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ビニールハウスを隠したい!
もう少し北へズレたかったけれど、田んぼにボッチャン!してしまうので、今日のところはこれで諦めました。

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さて、また乳房橋に話を戻します。

冒頭で、乳房橋を通るたびに胸が締め付けられる思いになると書いたのは、この橋に切なく悲しいエピソードがあるからです。ご存知の方も多いでしょうが、ここで上原良司の登場です。

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第二次世界大戦のさなか、敗戦の色が濃厚になってくると、それまで徴兵を免除されていた学生までも戦力として狩りだされます。学業半ばにして戦地に送り出された学生の遺書などを集めた書簡集が「きけわだつみのこえ」としてまとめられ、その最初に収録されているのが、慶応大学経済学部の学生だった上原良司が出撃前夜に書き残した「所感」という遺稿です。

学徒出陣で陸軍特攻隊員として配属された上原良司は、最後の別れに穂高有明耳塚の実家に帰郷し、軍隊に戻る際に、乳房橋で見送る家族に「さようなら」と三度叫んだというエピソードが残っており、この橋を平和のシンボルとして語り継がれています。

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▲池田町のクラフトパークにある上原良司の碑



軍の機密事項に触れぬよう帰郷の理由など話せる訳もなかったのですが、「あんなに大きな声を聞いたことがない。良司は死ぬ気でいるんだ。最後の別れに来たんだ」と母親が言ったことばで家族は良司との別れを実感したのだそうです。

家族には「日本は敗れる。俺が戦争で死ぬのは愛する人達のためだ。戦死しても天国に行くから靖国神社にはいないよ」と言い残したといいます。

友人には「死地に赴くのに喜んで志願する者は一人だっていない。上官が手をあげざるをえないような状況をつくっているのだ。仕方ないと心で泣き泣き手をあげているのが本当の気持ちさ」と胸の内を告げたそうです。

良司は、終戦のわずか3カ月前となる5月11日の午前、出撃命令を受け鹿児島の知覧飛行場から出撃し、沖縄の北にいた敵艦隊に突撃し22歳で戦死しました。良司の実家から乳房橋は300メートルほどのところだそうで、帰郷して軍に戻る時には、幼いころに遊んだ懐かしい場所、そして有明山にも別れを告げたのであろうことが想像されます。





このあたりに住む人々にとって有明山は「信濃富士」とか「安曇富士」、あるいは単に「富士山」と呼んで親しまれている山です。上原良司にとって心の山であったであろう有明山を、乳房橋から下手なりに「ちゃんと」撮ってみたい、そんな気持ちになったので先ほどペタペタと有明山の姿を貼り付けたという次第です。


安曇野市の公式サイト「安曇野市ゆかりの先人たち」に上原良司が紹介されています。

上原 良司/安曇野ゆかりの先人たち




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