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安曇野と信州の四季の自然の素晴らしさや、人気のお店を紹介しています♪ 最近はほとんど『野鳥 大好き!』ですが^^;

安曇野を支配していた八面大王の隠れ家・魏石鬼の岩屋を探検♪



昨日の続きです。

有明山神社を東に向かい、来た時とは別な参道の鳥居の隣にあるそば処くるまやで昼ごはんにしようと行ってみました。

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みごとに「本日休業」! ( ;∀;)
すぐ近くになにやら飲食店らしきこじんまりした建物がありましたが、すでに駐車場には車が満車。

昼ごはんは諦めて、八面大王の隠れ家とされる魏石鬼の岩屋(ぎしきのいわや)へ向かうことにしました。
くるまやの建物の横に設えてある水車の脇を進みます。

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真言宗の正福寺(しょうふくじ)というお寺のようです。
ここには東海道中膝栗毛の作者十返舎一九も訪れたのだとか。

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山門をくぐると次なる階段が現れましたが、このでこぼこ具合が歴史の古さを感じさせます。

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数十段の階段を上がると千度石の向こうに、屋根だけが見えていた本堂の全体が。

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向かって左側には「真言宗 豊山派 正福寺」と、
右側には「宮城(みやしろ)不動尊 明王院」と書かれています。
山号額の文字は「山」しか写っていませんが、山号は「五龍山」です。

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本堂の右手に魏石鬼の岩屋に向かう山道がありました。

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山道は杉の樹林帯の中を通っているので昼間でも鬱蒼とした雰囲気です。
かつて行者たちが歩いたであろう道に数十体もの石仏が並んでいます。

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どれもあちこちが欠けていて、古いものだと感じさせます。

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熊よけ!
ベルというか鈴というか表現に困りますが、鉄パイプを切ってぶら下げてありました。

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シルエットがとても美しい観音堂の佇まいに思わず見とれてしまいました。

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階段を下りながらも振り返ってしまいます。

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降りた左側に大きな岩が。
その先に道が続いています。

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先ほどの観音堂や大きな岩を巻く感じに数歩進むと、ちょっとした広場のようなところに出ます。

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ここが、坂上田村麻呂に対抗するために八面大王が立て籠もったといわれる魏石鬼の岩屋です。

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岩窟の入り口には鉄格子がついています。
大王のように立てこもろうかと思いましたが、錠前がかかっていて断念!(笑)

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鉄格子のはまった岩肌には観世音菩薩が彫られており、
そのまた上に先ほどの観音堂が見えています。

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この岩窟、実は横穴式石室の古墳だったんですね。
古墳女子 集まれ~!

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近くには鬼の足跡といわれる岩があるようなのですが、昼ごはんを食べ損ねているので探す元気が既になくなっておりました^^;
”一目惚れ”の観音堂をもう一度見納めして戻りました。

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この地を支配していた鬼「八面大王」の伝説が安曇野市作成の小冊子に載っていたので引用しておきます。


八面大王の伝説

有明山に住み、周囲の村を荒らし回っていたため朝廷の命を受けて蝦夷征伐に向かう途中の坂上田村麻呂に討たれたという八面大王。田村麻呂は満願寺の観音のお告げに従い、三十三ふしのある山鳥の尾の弓矢を射って倒したという。大王は蘇らないように身体をバラバラにされ、各地に埋められたといわれる。耳塚・立足などといった地がその場所だと伝えられる。また、戦いの時に立てこもったとされる場所は「魏石鬼の岩屋」として今も残る。一説には八面大王は地元の人々のために戦った英雄との見方もある。




坂上田村麻呂が八面大王を成敗した際に満願寺が力を貸したので、坂上田村麻呂がこの寺を再興させたとの伝説もあるそうです。

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そして八面大王の「大王」で連想されるのが「大王わさび農場」です。安曇野で観光客が最も足を運ぶ人気スポットですが、ここに「大王神社」があります。大王わさび農場のweb.サイトにその経緯が記されていますので引用させていただきます。


大王わさび農場の守り神。
「魏石鬼八面大王」が祀られている大王神社


地域の伝統である八面大王を祀った大王神社は、かつて大王農場の東側を流れる犀川のあたりに有り、洪水で流されてしまったものを当農場初代深澤勇一が移設したものです。 住民を守って倒れた大王の遺骸は、二重の棺に納められ、合戦の場から「八面大王大明神」の旗を立てて里に戻り、塚が築かれ葬られたということです。 神社は農場のほぼ中央に位置し、周辺の木々が四季さまざまな色どりを添えています。

(中略)

拝殿の左右の大わらじは、八面大王が大男だったとの言い伝えから、農場のスタッフが手作りし、奉納したものです。 毎年5月8日はお祭りの神事が行われています。


http://www.daiowasabi.co.jp/facility/より引用



また、同農場には今回訪れた宮城(みやしろ)の魏石鬼の岩屋が再現されていて、八面大王が地元の人々のために戦った英雄なののだという伝説も記されています。


わさび田を守りつづける八面大王 
大王が最後にたてこもったといわれている、有明山の麓、宮城の岩屋を再現


その昔、魏石鬼八面大王(ぎしきはちめんだいおう)という世にも優れた怪力無双の首領が安曇野を治めていました。

全国統一を目指す中央政権は、東北に侵略を進めるにあたって、信濃の国を足がかりとし、たくさんの貢物や無理難題を押し付け、住民を苦しめました。住民を守るべく立ちあがった大王は、坂上田村麻呂率いる軍勢とひけをとることなく戦い続けました。

しかし、女、子供まで巻き込み、村々次々と焼き払われていく様子に追い詰められた大王は、わずかばかりの部下をともない、有明山のふもとの岩屋にたてこもりました。その後も力の限り戦いましたが、ついに山鳥の尾羽で作った矢に当たり倒れてしまいました。

八面大王があまりにも強かったため、再び生きかえらぬようにと遺体は方々に分けて埋められました。当農場の一角には胴体が埋められていたと言われており、現在は大王神社として祀られています。

「大王農場」の名前も、この故事にちなんでつけられたものです。八面大王は大王農場の守護神であり、安曇野を守った勇士でもあります。彼の中に潜む強靭でありながら、人を愛する温かい心は、大王農場を訪れる全ての人々の中にきっと伝わっていくことでしょう。

http://www.daiowasabi.co.jp/facility/より引用




長くなってしまいましたが、今日もご訪問ありがとうございましたm(_ _)m

続きは、この後ランチを食べたお店のレポートを…。





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